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【トピックス】
 10月29日、ハロウィーンを前にした土曜日の夜、韓国ソウルの繁華街で156人が圧死するという大惨事が発生しました。死亡者の多くは若者であり、ご本人とご遺族の無念は計り知れないことと思います。心よりお悔やみを申し上げます。
 日本人女性も二人お亡くなりになりました。お二方とも棺に入れられて空輸され、韓国からそれぞれの故郷にお帰りになったようです。外国に限らず、例えば東京でお亡くなりになった方が空輸で出雲にお帰りになるケースも稀にあります。
 この場合、入棺、空輸等の手配は東京の葬儀屋さんが行ないます。併せて出雲の葬儀屋さんに到着後のお迎えを依頼し、葬儀の段取りを相談しなくてはなりません。ちなみに、ご遺体が収められた棺は貨物扱いとなります。乗客席に安置されるわけではありませんが、貨物係の方はご遺体の尊厳を損なわないような取扱いをしてくださっているようです。
 もちろん、東京で火葬してお骨になってお帰りになり、出雲で葬儀をするという方法もあります。おそらく、こちらの方がご遺族の負担は少ないとは思いますが、最終的にはご遺族の判断となります。11月10日記

【第41代・式守伊之助さん】
 出雲市出身の有名人として、意外と知られていないのではないかと思う方を紹介します。
 本日11月13日から大相撲九州場所が始まりました。15日間結びの一番を裁く立行司、第41代・式守伊之助こと今岡英樹さんは出雲市のご出身です。立行司とは日本相撲協会に属する行司の最高位であり、式守伊之助は木村庄之助の次に位置する行司職の名跡です。
 今岡さんは1959年に出雲市でお生まれになり、出雲市立第二中学校に学ばれました。幼少期からの相撲ファンであり、力士を志しますが、小柄だったため断念したそうです。そこで土俵の裏方を志し、作文用紙4枚に相撲への思いをしたためて元大関・前の山に送ったところ熱意が認められ、中学卒業と同時に前の山が師匠を務める高田川部屋に入門することになりました。
 1975年5月場所で初土俵を踏んで以来、45年以上もの長きにわたる行司人生。土俵で軍配を振るう以外にも、本場所や地方巡業の運営、所属部屋でのマネジメント等、行司の仕事は多岐にわたります。特筆すべきは、番付表の作成です。番付表は「相撲字」と呼ばれる独特の書体で手書きされます。相撲字を書けるのは行司だけだそうです。もちろん今岡さんも書き手の一人であり、常設展示されている作品もあると聞きました。
 独特の呼び上げと勝ち名乗り、土俵上で生み出した幾つかのユーモラスな事件は多くの相撲ファンの記憶に残ることでしょう。九州場所も元気でお務めになることを願っています。なお、今岡さんの息子さんは元力士であり、現在は出雲市でアーチストとして活躍していらっしゃるそうです。

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