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読書日記『葬式消滅』

【トピックス】
 9月18日から20日にかけて、台風14号が日本列島を襲いました。少なからぬ死亡者や行方不明者も出ており、各地で大きな被害が生じたようです。心よりお悔やみとお見舞いを申し上げます。
 9月19日にはロンドンにて、故エリザベス女王の国葬が厳かに執り行われました。葬儀におけるドレスコードについて大いに勉強になりました。9月27日には、安倍元首相の国葬が日本武道館で執り行われます。国葬そのものの是非、決定過程、安倍元首相の評価については様々な意見があるでしょうが、無事終了することを願っています。
 他人の葬儀を邪魔する権利は誰にもありませんし、場合によっては刑法で罰せられることもあります。弔意が強制されることもないはずです。国葬に関して反対意見をお持ちの方も、どうぞ穏やかな気持ちで当日をお迎えください。9月21日記

【2022読書日記10】
『葬式消滅』島田裕巳著/GB刊/2022年6月30日
 安倍元首相銃撃事件以来、旧統一教会についてのコメントで、島田裕巳氏の名前をよく目にします。加えて、執筆・講義・講演と、相変わらず忙しいようです。本書は今年に入ってから8冊目の著作であり(共著も含む)、衰えることのない筆力には感服するほかありません。
 本書の内容は、『葬式は、要らない』や『0葬』における見解をバージョンアップさせたものと言えるでしょう。昨年4月、島田氏のお母さまが亡くなった際、葬儀をせずに近親者のみで見送った経験を踏まえて本書は執筆されており、その経験値により説得力が増しているような気がします。寺院や葬儀業者にとっては非常に辛いことですが、葬儀消滅への道程が示唆されていると言っても過言ではないでしょう。
 なお誤解がないように言っておきますが、島田氏はあくまで宗教学者であり、社会的に「葬儀不要」「葬儀消滅」の流れが存在することを客観的に語っているだけであって、現在、その流れに積極的に与するという姿勢をとっているわけではありません。そうした流れの中で「葬式をカジュアルなもの、気軽なものとして考える。今はそれを基本としてよいのではないでしょうか」と静かに語るだけです。
 本書の大筋は既刊書において記されたことの繰り返しであると言えますが、「おわりに」で記された傍論には興味深いことが示唆されています。
 まず島田氏は、葬儀業者をはじめとした葬儀関係者に対して、ある問題を投げかけています。要約すれば「高齢者になる前に、若くして亡くなった人々の葬儀をどのように執り行うべきなのか?」ということです。
 若くして亡くなれば当然、遺族の悲嘆は大きく、葬儀にその悲嘆を解消する機能が求められる場合もあります。いわゆるグリーフケアの場として葬儀が機能するのかどうかという問題が島田氏からなされているように思います。もしかしたら、今後、グリーフケアのセンスと力量が葬儀社を差別化してゆくことになるのかもしれません。
 そして島田氏は、本書の巻末において、葬儀消滅の後、仏教が再び「釈迦の悟りとは何かを問うもの」となり、本義へと立ち返ることへの期待を述べています。すでに、そうした覚悟のもとに行動を起こしている寺院もあり、今後の仏教界の動向にも注目したいと思います。
 なお、本書では「家族葬」よりも更に小さい「家庭葬」という概念が提示されています。「故人と同居していた人間、あるいは、その面倒を見ていたごく少数の家族だけが参列して行なわれるのが家庭葬というわけです。家庭葬なら、それこそ5名程度ということも珍しくないでしょう」と島田氏は述べています。「家庭葬」という言葉が普及してゆくかどうかはわかりませんが、当社においても、そうした変化を実感しているところです。

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