【トピックス】
4月7日、藤子不二雄Ⓐこと安孫子素雄氏が88歳で亡くなりました。氏は伝説の「トキワ荘」住人の一人であり、藤子・F・不二雄こと故・藤本弘氏と組んで『オバケのQ太郎』で鮮烈なデビューを飾ります。その後は、藤本氏が『ドラえもん』や『キテレツ大百科』といった少年向けの作品を創作したのに対して、安孫子氏は『魔太郎がくる‼』や『笑ゥせぇるすまん』といった大人の鑑賞にも耐える名作を生み出しました。
半世紀以上にわたり、日本国民のみならず全世界の人々を楽しませてくれた安孫子氏。漫画、アニメーションといったエンターテイメントにおける卓越は、日本が長きに渡り平和を保ち続けたことの栄誉ある産物だと思います。氏の功績を讃えるとともに、一刻も早くウクライナに平和が訪れることを祈ります。(4月8日記)
【2022年読書日記6】
先日、濱口竜介監督『ドライブ・マイ・カー』が2022年アカデミー賞国際長編映画賞(旧外国語映画賞)を受賞しました。2009年に『おくりびと』が同賞を受賞して以来の快挙です。大変残念なことに、過日Tジョイシネマ(地元出雲市のシネコン)で上映されていたにもかかわらず、本作を見る機会を逸してしまいました。再上映される可能性もありますが、おそらくDVD発売まで待つことになるでしょう。
映画『ドライブ・マイ・カー』の原作となったのは、村上春樹の短編集『女のいない男たち』に収録された同名の短編小説です。映画を見られなかったので、小説のほうを読むことにしました。
批判を恐れずに言えば、村上作品のエッセンスは次の三つだと思っています。①例えば、お気に入りの本、レコード、映画、服、食事、お酒、スポーツ、車、家族、恋人等で構成される日常生活への深い愛着。②その日常生活を脅かすもの(例えば、宗教や思想から導き出される大義名分、戦争や犯罪、病いや老いや死、不倫や不道徳)への嫌悪と拒絶。③「すべては変わってゆく(失われてゆく)」という切ない諦念。
小説『ドライブ・マイ・カー』では、ガンで早世した妻への追憶がテーマとなっており、生前の妻の不倫に懊悩する主人公の姿が描かれます。そして主人公は深い諦念のもと、好ましくない現実を受容しつつ、新しい日常を生きてゆこうとします。
物語のエンディングで、俳優である主人公は次のように語っています。「そして僕らはみんな演技する」。「また舞台に立って演技をする。照明を浴び、決められた台詞を口にする。拍手を受け、幕が下りる。いったん自己を離れ、また自己に戻る。しかし戻ったところは正確には前と同じ場所ではない」。
サーブ900コンパーティプルに象徴される愛しき日常生活、その日常を脅かす病い、老い、死、不倫、そして一つ所には留まれないという諦念・・・小説『ドライブ・マイ・カー』には村上作品のエッセンスが凝縮されているような気がします。原作と映画では物語の設定が多少違うようですが、映画が原作にとって相乗的な作品であることを切に願います。
ひるがえって、葬儀が日常生活の大切さを再認識する機縁となればよいと常々思っているのですが、ご遺族や参列される方の思いはいかがなものでしょうか。
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