公善社のブログ

東日本大震災から11年

【トピックス】
 ウクライナでは依然和平が見通せないまま、連日悲しいニュースが伝わってきます。自然災害と戦争は人々が築いた生活世界を容赦なく奪い取り、人々を絶望のどん底へと突き落とします。今日のウクライナ国民の悲しみは、11年前に東日本大震災で被災した方々の悲しみに共鳴しています。
 ところで、2005年に発売されたSMAPの“Triangle”という歌が、ウクライナ紛争を機に再評価されているようです。聴いて納得しました。日本人だけでなく世界中の人々に聴いてほしい歌です。
 

【公善社情報】
 当社では、東日本大震災が発生した3月11日の朝礼において、犠牲となった方々に黙祷を捧げました。2011年地震発生から間もない頃、島根県葬祭業協同組合の有志6名(当社から2名)は宮城県石巻市に赴き、遺体安置所に運ばれてくる夥しい数のご遺体を棺に移す作業に従事しました。あれから11年が経ったのです。
 震災で得た教訓はたくさんありますが、一番大きな教訓は「命より尊いものはない」ということではないでしょうか。理不尽な殺人、無差別殺人、他国からの武力行使・・・命を脅かすことがはびこる世の中ですが、自分の命と同じように他者の命も大事にしてください。もし自分の命が大事ではないという方がいらしたら、どうせ捨てる人生、ひたすら世のため、人のために役立ててください。

【東日本大震災ご遺体をどうしたのか?】
 東日本大震災で亡くなった方は全国で1万5千人を超えます(行方不明の方は約2,500人)。そのうち宮城県の死亡者数は1万人弱です。宮城県の一昨年の死亡者数は約2万5千人ですから、その数字の大きさは明白でしょう。それだけ数の死亡者が3月11日の震災発生から短時間のうちに発生したのです。
 さらに悪いことには、宮城県内27か所の火葬場のうち7か所が被災したため稼働できなかったそうです。震災直後の火葬体制が早々にパンクしたことは言うまでもありません。なかには県外の火葬施設で火葬されたご遺体もありますが、数は限られています。なぜなら、搬送手段が整わなかったからです。結果、遺体安置所は火葬待機のご遺体で溢れかえることになりました。

 ご遺体は棺に入っているとはいえ、日々状態が悪くなってゆきます。3月下旬からは、待機中のご遺体は仮埋葬という形で、地中に安置されることになりました。火葬体制が整うまでの間、土の中で待ってもらうというわけです。この仮埋葬の作業は3月31日までは自衛隊が担っていたのですが、それ以降は宮城県仙台市に本社を置く「清月記」という葬儀社が中心的に担うことになりました。そして仮埋葬が終わり、火葬体制が整うと、今度は棺に入ったご遺体を掘り起こすという作業が始まります。清月記さんによる掘り起こしの作業は、5月から始まり8月まで続いたそうです。
 亡くなられた方とご遺族には申し訳ありませんが、死亡から数か月経ったご遺体の状態は好ましいものではありません。棺も土の重みで損傷しています。棺を掘り起こし、そこからご遺体を取り出し、新しい棺に移す作業は過酷きわまるものだったはずです。清月記さんは通常の葬儀業務と並行しながら、その作業を見事やり遂げたのです。

 以上が、震災時ご遺体が火葬に至るまでの宮城県におけるプロセスです。こうした経験を踏まえ、震災後、全日本葬祭業協同組合に参加する各都道府県単協は各都道府県と「災害時協定」を結び、震災等で死者が多数出た時の対策を整えることになりました。現段階では、棺や遺体収納袋等の物資の安定供給が主たる内容となっています。島根県においては平成27年12月に締結式が執り行われました。
 しかしながら、例えば「遺体安置場所の確保」「広域での火葬体制の確立」「遺体安置や搬送を担うマンパワーの確保」等の課題は、現状不十分なままではないかと思われます。「清月記」というスーパー葬儀社があったおかげで、宮城県では、なんとか困難な状況を切り抜けることができました。清月記さんが残してくださった尊い教訓に感謝し、今後の諸課題に取り組んでゆきたいと思います。

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