【トピックス】
葬儀とはまったく関係のない話で恐縮です。4月24日のプロ野球オリックス・ロッテ戦、ストライクボールの判定に不服そうな顔を見せた佐々木朗希投手に、球審をつとめていた白井一行審判員が怒気を含んだ表情で詰め寄ろうとしたシーンが話題になりました。ファン、プロ野球OBから様々な反応がありましたが、白井審判員を擁護する声はほとんどなかったように思います。佐々木朗希というベビーフェイスが相手であったことに加え、試合後の取材拒否が悪印象の上塗りをしたようです。
その経歴は様々ですが、日本野球機構に属する審判員のほとんどは野球経験者です。プロ野球を経験した審判員も少数いるにしろ、言い方は悪いかもしれませんが、プレイヤーとして淘汰された後に進路の一つとして審判という職業を選んだとも言えます。したがって、審判団の心中を察するに、プレイヤーに対するコンプレックスは間違いなくあると思います。
今回の白井審判員の行動には、その心の暗部が投影されているような気がしないでもありません。白井氏44歳に対し、佐々木投手20歳、松川捕手18歳…年齢でマウントを取ろうとでも思ったのでしょうか? 白井氏は職務に忠実で優秀な審判員なのかもしれませんが、ファンに不快感を与えるような行動は厳に慎んでいただきたいと思います。5月6日ソフトバンク戦での佐々木投手の好投が、この不愉快な出来事を少しだけ忘れさせてくれました。5月7日記
【2022年読書日記7】
小説家・桜庭一樹(さくらば・かずき)さんの作品を初めて読みました。野田聖子内閣府特命担当大臣のブログで『少女を埋める』が「響く本、です」と写真入りで紹介されていたので、手にとった次第です。
桜庭さんは1971年に島根県で生まれています。育ったのは鳥取県米子市で、米子東高校の出身だそうです。東京の大学を卒業した後、作家活動をスタートさせ、2008年には『私の男』で直木賞を受賞しています。
本書『少女を埋める』には三篇の独立した作品(「少女を埋める」「キメラ」「夏の終わり」)が収められていますが、一つの作品として読んだほうが自然だと思います。共通するテーマは、個と共同体との相克です。
「少女を埋める」の末尾で主人公の主張がストレートに述べられています。「我々一人一人に、人間の集団の一員として、時代の最適解に合わせて変容し続ける責務がある」。あるいは「共同体は個人の幸福のために、社会はもっとも弱い立場の弱い者をみんなで支えるために存在すべきだ」。「個別性は聖痕(スティグマ)ではなく、異分子はウイルスではなく、我々がそれぞれ異なる資質を持つ個人であることは、そもそも、祝福なのだ」。
著者自身、共同体の論理の押し付けには若いうちから敏感であったことが想像されます。共同体の論理が優先されがちな山陰の地方都市からの脱出を希求し、東京においても論壇という強固な共同体に対して反抗を貫きます。著者は強い覚悟のもと、「時代の最適解」を求め、終わりなき戦いに挑もうとしているように思えます。
たしかに共同体の論理に身を任せ、そこから生じる矛盾を見て見ぬふりをするほうがはるかに楽でしょう。ほとんどの人はそうした生き方を選択しているはずです。それに対して、どこまでも個の論理を貫こうとする著者の姿勢には敬意を表するほかありません。おそらく、こうした姿勢が野田大臣の心に響いたのだと思います。
ところで、「少女を埋める」では主人公の父親の病気、死亡、葬儀にそってストーリーが展開し、葬祭会館での安置・納棺、火葬、菩提寺での葬儀の様子が詳細に描かれています。安置されたのは米子駅近くの葬祭会館だったようです。フィクションとはいえ、担当された方は、ドキドキして本作を読まれたことと思います。幸いなことに、概ね良い仕事をされたのではないでしょうか。
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